日日是好日

袖振り合うも多生の縁。ご覧下さってありがとうございます。

懐かしいものを見た話

 


はじめまして。かっちゃんです。

 

突然ですが。

 

「懐かしい」という言葉から、あなたの中に浮かぶ情景にはどんなものがありますか?

 

 

先日、守田矩子さん主催の「カンタ!ティモール」という映画の上映会に参加させて頂きました。

 

2002年に独立した東ティモールのお話です。

 

東ティモールというのは、近海に大規模な油田があり、侵略者たちの手によって、悲劇的な運命を歩んできた歴史を持っている国です。

 

1975年にポルトガルから独立するやいなや、独立を認めないとする隣国インドネシアが武力で併合。

 

抵抗する多くの人々に対して、非人道的な激しい弾圧が加えられました。

 

その痛み。

 

想像できるでしょうか?

 

今までの平和な暮らしが、忽然と消えてしまう理不尽さを…

 

武力による弾圧に、ただ耐える環境に身を置かれることの恐怖を…

 

自分の親友が目の前で見せしめのように銃で体を打ち抜かれる痛みを…

 

自分の息子が目の前で連れ去られて、数十年間行方が分からないという痛みを…

 

自分の娘が女性としての尊厳を奪われるのを目の当たりにするという痛みを…

 

そんな痛みがいつ終わるとも知れず日常的に繰り返される絶望を…

 

 

人間というのは不思議なもので、

 

自分に直接関係のあることにしか、興味がわきにくいようにできています。

 

これは「生物としては」全く理にかなった反応だと思います。

 

自分の身を守ることが目的の、いわゆる爬虫類脳というやつです。

 

脳幹の構造上、我々はまず反射的に自分のことに興味がいくようになっているのです。

 

しかしながら、人間の脳の構造は、その外に哺乳類脳があり、人間脳があります。

 

それはすなわち。

 

言い換えるならば、我々は人の痛みを、あたかも自分の痛みのように

 

想像できる力を持っているということです。

 

あなたも。私も。

 

 

東ティモールの人たちって、本当にすごいんです。

 

すごかったんです。

 

目に見えない力によって、人と人、そして人と大地がつながっていること。

 

科学や功利主義では説明のつかないこと。

 

そういうものを信じているという文化的な背景なのかもしれません。

 

非人道的な行いを重ねるインドネシア兵を捕まえて捕虜にしました。

 

さて、普通ならどうなるか…。なんとなく想像がつきますよね…。

 

しかしながら、東ティモールの人たちは決して自分の恨み辛みを晴らすための報復や、人質を盾にとった交渉といった類のことは行いません。

 

皆、争うことの無意味さを懇々と説いて、武器を取り上げて、無傷で解放するのです。

 

- 身を切り裂かれるように悲しい。だけれども怒りはない。

 

すごくないですか?

 

そんな日々が24年間も続きました。

 

1980年生まれの僕が、のんきに鼻を垂らしながら少年ジャンプを読んでいた頃、東ティモールの人たちは、ずっと息を潜めながら、暗黒の日々をやり過ごしていたわけです。

 

そしてその間、多くの国がインドネシアのやり方を非難する中、日本は政治的な思惑から、インドネシアのその軍事費を援助し続けていたということです。

 

無知であるということは恐ろしいことだなと思いました。

 

 

2002年に事実上の独立を勝ち取った東ティモールの人たち。

 

映画の中には、独立後の牧歌的な集落の様子が、とりわけ無垢な子供達が、はしゃぎ回っている画が何度も出てきます。

 

いま僕たちが日本で謳歌している平和も含めて、平和というものは先人たちの流した血と代償のうえに成り立っている…。僕らはその有難さをついつい忘れがちですが、大切に受け継いで、次の世代にバトンタッチするべきもののはず…。

 

映画の中に出てきた、これからの未来を生きる子供達は、東ティモール激動の時代を生き抜いてきたそんな先人たちにとっての希望そのもののように僕の目には映りました。

 

東ティモールでは、子供達はおじさん・おばさんのことも、お父さん・お母さんと呼びます。

 

おじさん・おばさんにとっても、甥や姪は、自分の子供同様なんですね。

 

子育てはみんなでする。誰かの子供はみんなの子供。子供はみんなの宝。

 

そして、そんな子供達をつなぐ役割として、アレックスという青年の歌が出てきます。

 

この歌が素敵すぎて。。もうね。泣けてくるんです…。

 

そして、アレックスと子供達が一緒に歌っている姿が、とても、とても懐かしいのです。

 

人は、どれだけの傷を、痛みを抱えていても。

 

いや、それだけの傷を、痛みを抱えているからなのかもしれない。

 

人のために、人とつながって、また前に進むことができる。

 

「カンタ!ティモール」には、うまく説明できないのですが、そんな人間の美しさが表現されていて、多くの人に観てほしい映画だと思います。

 

人間の美しい光の部分。そして対照的な闇の部分。

 

コントラストのように表現されているのですが、その違いは何だろうと考えたとき

 

「繋がっているか」「繋がっていないか」だと思うのです。

 

東ティモールの人たちは、人と人が繋がっている。そして人と大地が繋がっている。

 

そして映画の中に出てきますが、人と精霊(目に見えないもの)が繋がっている。

 

対して、インドネシア兵は、人や社会と分断され、上官から駒のように扱われ、覚醒剤を注射された状態で、東ティモールの人たちを迫害するわけです。

 

加害者を擁護する気持ちは全く無いのですが、そうやって人との繋がりや、信じるものから分断され、本当の本当の本当の自分はきっとやりたくないであろう迫害行為を余儀なくされているインドネシア兵も、あるいは被害者なのかもしれません。

 

それを直感的に知っているから、東ティモールの人たちはインドネシア兵を捕虜にしても、報復という選択肢を選ばなかったのかもしれません。

 

人の欲。人と競争して勝ちたいという欲。自分が、自分が、自分だけが…。

 

欲の持つエネルギーをすべて否定したいわけではありませんが、「他人と自分を分断する欲」は、結局、自分の人生を貧しくするのだと思います。

 

僕は普段、会社勤めをしていて。

 

職場に行けば、売上目標だとか利益率だとかいうことばに囲まれながら仕事をして。

 

同業他社としのぎを削るかのような競争をして。

 

休憩するときには、自動販売機でお茶を買って。

 

遠く離れた東ティモールのことなんて、この映画に出会うまで考えたこともなくて。

 

なんだか、繋がれていないなぁ、と思うことが最近多くて。

 

だから、アレックスと子供達が一緒に歌っている姿を見て、とても、とても懐かしく感じました。

 

人が「良く」生きるということはどういうことなのか?

 

「カンタ!ティモール」にはそのヒントが描かれています。

 

人を信じる、大地を信じる、目に見えないものを信じる。

 

そして、人と、大地とつながって、共生する生き方をクリエイトすること。

 

アレックスの歌はその象徴…。だから感情が揺さぶられる。なんだか懐かしい。

 

人が本来いるべき場所。人の魂が本来あるべき状態。

 

そんな原点に「ただいま!」って言いながら帰ってきたような懐かしさを覚えた映画。

 

「カンタ!ティモール」

 

めちゃめちゃお勧めします!