断食チャレンジの記録
こんにちは、かっちゃんです。
ウィズコロナの世界を平和に生きるべく、世の中の動向に気を配りつつも、最近は自分の内面を整えることを特に意識しています。
思うところがあり、去年の夏ごろから小麦粉原料としたパンなどの製品とお肉を極力控えるようにし、玄米菜食を中心とした食生活に切り替えました。
飲みものも自動販売機で売っているものは極力避けてお白湯・お茶・紅茶・コーヒーを主に飲むようになりました。(ペットボトルを使い捨てしたくないというのもあります)
消化促進のために、よく噛んで食べることも意識してやっています。 その効果もあってか、食べる量が減りましたが、からだは快適に動いてくれています。
からだにとっての適切な食事量が減った、ということなのだと思いますが、脳だけはそう解釈してくれないみたいで、今の自分の適量を超えて欲のまにまに食べる・食べる・食べるを繰り返し、体調不良に陥ることがここ最近何度かあり(一度だけ胃痙攣みたいな状態になり職場から救急車で運ばれたことも…)その反省を兼ねて 4/30 - 5/1 の2日間、断食にチャレンジしました。
「断食」 だん-じき 食物を断つこと (広辞苑より)
小さい頃から「食べないと生きていけない」と刷り込まれて生きてまいりました。断食だなんて、おそろしい!!!そう思っていた時期もあります。
しかし去年初頭に盲腸で入院した際、一週間ほど点滴のみで入院生活を送れた実体験もあってか、人間のからだって、ちゃんと糖分が行きわたっていれば案外食べなくても平気なもんだな、と実感。
去年の秋に1日だけのプチ断食を経験したのですが、実はその時は達成できたことに喜びを感じて、断食明けの最初の食事でドカ食いをしてしまった苦い経験が…。(断食中は便通も大幅に改善されてとても快適でした。)
今回は頼れる姉貴分、すずなりの南かおるさんがYouTubeにUPしてくれている断食の基本的な知識に則って、酵素ジュースを使った断食を行ってみました。
【準備するもの】
酵素ジュース ・ 断食に対する意欲 ・ 家族の協力
家族の協力、は意外と大事!目の前で美味しそうに食べるのを何も食べずに見る、のは精神的にツラいかも。そんなわけで今回は奥さんも一緒に断食にチャレンジしてくれました。ありがとう!
いずれはかおるさんみたいに自前のものを用意したいけど、今回はとりあえず大高酵素さんの「スーパーオータカ」を酵素ジュースとして用意しました。
ジャン!
上の原料を、独自の発酵・熟成過程を経て、すでに人間の胃や腸で消化されたかのような状態にしてある「特殊な液状の食べ物」だそうです。
つまり胃や腸に負担をかけない!からだはエネルギーを使わず消化するだけ!
胃や腸を休めるための断食という目的に沿った、とてもからだにとってエコな飲み物(食べ物?)だということです。
1,200ml で 6,600円。
一日あたりワタクシの場合、HP記載の計算式に則ると 360ml 目安なので大体 1980円/日。ガツッと外食、の代わりに断食したと思えばそんなに高くないか。
でも、なんだか美味しくはなさそう…。苦いのかな…。
ともあれ、準備が整い断食スタートです。
-*-○◇△□-*-○◇△□-*-○◇△□-*-
【断食メモ 1日目 2020.04.30】
開始時の体重 51.0 kg。
昨日たくさん食べたためか、お腹空かない。朝、何も口にせず。
今日は母親の月命日。お寺まで往復15km程度の道程を日頃の運動不足解消のため、2時間ほど自転車での移動。
後で気がついたけど、からだを休める目的で行っている断食中、これ本当はあかんやつ。
断食では、ゆっくり過ごし、からだをなるべく動かさないことが大事!
というわけで昼からはゆったり。お昼過ぎと夕方に酵素ジュースを飲む。
あれ?思ったより美味しい。全然マズくない!
原液で飲むと癖の強いホットケーキのシロップをそのまま飲んでるみたい。
適度に水で割って飲む。
あ。これ、昔、子供の頃、風邪ひいたときに飲んだ甘いシロップの薬みたい。
甘味が相当強いので満足感もあり。
これなら全然断食いけるんじゃね?
昼間に便通が2回。快便、快便。なんだか気分も落ち着いてきた。
夜。父(※断食対象外)がご飯食べるの横目に見るも、さして羨ましくもなし。
断食で感情安定?
実は断食開始前、夫婦喧嘩をしていたが、夜寝る頃には仲直り。
1日目の成果は家庭の平和をゲットできたこと。ありがとう、断食。
22時過ぎ寝る。酵素ジュース、原液の摂取量この日は360cc。
【断食メモ 2日目 2020.05.01】
7時起き。体重 49.8 kg。今日もゆったり過ごす。
今日も元気だ酵素がうまい!
断食の本分、からだを労わる、という視点に立ち返り午前中はゴロゴロ。
お昼も元気に酵素がうまい!
昼過ぎ、お父ちゃんの夜ご飯を実家にて準備。
※ 夜は毎日実家で父と奥さんと3人でご飯食べてます。
※ お父ちゃんは昼間はデイサービスに通っています。
フカフカに茹で上がったさつまいもを目の前にして、あまりの良い匂いにつまみ食い…しないしない!
匂いだけ嗅いで満足、はしないけど、自分を納得させる。
このあたりから猛烈にお腹がすいてきたような感覚に襲われる。
夕方お腹減る減る。酵素たくさん飲む。そろそろ飽きてきたぞ、この味!
そのうち急に眠気とだるさがやってくる。いつの間にかソファで30分ほど眠る。
起きたら不思議と食欲が消えていた。
夜ご飯も酵素炭酸割り。父がご飯食べるのを横目に見るも、さして羨ましくもなし。
その後もあんまし食欲わいてこず。猛烈な眠気とだるさがやってくる。
お風呂入って22時過ぎ寝る。酵素原液で420cc。この日便通無し。
-*-○◇△□-*-○◇△□-*-○◇△□-*-
そろそろ酵素ジュースの味にも飽きてきたね、ということで、奥さんとの会話の結果、今回の断食は2日間でフィニッシュ。
よく頑張りました!
酵素ジュースを飲んでいる限り、飢餓感は無いので、頑張ればもう少し長めに断食できたかもしれません。
しかし、今回の断食はここからがいわば本番…。
断食すると胃腸が久しぶりの休養期間に入ります。胃腸にとって、われわれで言うところの久し振りの大型連休がやってきたようなもんです。
以前プチ断食をしたときは、達成直後にドカ食いしてしまい大いに反省…。
「おい。かっちゃんよ」と。
「想像力がミドリムシぐらいやなジブン。」と。
「たとえばやで。大型連休の直後に夜中まで残業やりたいか?」と。
「そういうところやで。少しは胃腸の立場にたってくれよ。」ということで…。
果たしてドカ食いしたものが消化不良のまま搬送。クレームの電話が鳴り続けるかのように、からだからSOSのサインが出たという顛末です。
「断食期間の倍の日にちを回復期間に充てるべし」
今回、かおるさんに教えて頂いたこと。
家に帰るまでが遠足。回復期間が終わるまでが断食。
酵素ジュースと回復食(消化に良いものを少量)を併用しながら、からだをゆったりと休ませよう。
からだの自浄作用は回復期間中も続いているのだから…。
※ 回復食とは、断食後に普通の食事に戻す前の準備用の食事です。
-*-○◇△□-*-○◇△□-*-○◇△□-*-
【回復期間 1日目 2020.05.02】
5時過ぎ起床。体重 49.2kg。今日もゆったり過ごす。
2度寝。8時過ぎ目覚め。からだ激重。若干の頭痛。空腹感無し。むしろ膨満感。
便通。最初、下痢かと思った。
便器にこびりつくような真っ黒いタイプの水便に固形が混じる感じ。これはまさか宿便というやつ?
体重 48.6kgまで落ちる。成人以降のミニマム体重更新!記念写真を撮る。
おなかを触ってみると、断食開始前にはカッチカチだった腸がゆるゆるに。
9時、朝食として具無し味噌汁を頂く。染みるぅぅ!美味い!五臓六腑に染み渡る。具無し味噌汁サイコー!10分ほどかけて一杯を頂く。
味噌汁を飲んだあと、ぐったり。肩が重い。
しばらくじっとしていなさい、ということか。
空腹感出てくる。あれ、もしかして回復食として塩分あかんのか?
(↑食欲を刺激するので実はあかんやつ。)
味噌汁飲んだ後だから、、酵素美味しく感じるかも…。
果たしてそのとおり!酵素ウマー!ついつい量が進む。
11時。初固形物。自然栽培の焼き芋1/3本!旨すぎ!
11時30分、先日お知り合いになったとよさんから、お願いしていた日本酒が届く。
いやいや、断食明けやしなー、今食べたとこやしなー(ニヤニヤ)ま、せっかくだし、お猪口に一杯だけ味見!めちゃめちゃウマー!
その一杯で酔いが回りバタンキュー。反省はしている、でも後悔はしていない。そのまま昼寝zzz。
14時。ミニトマト一つとバナナ半分。お腹いっぱい。もう食べられない…。
夕方酵素ジュース。
19時、いつもどおり実家で晩ご飯。お父ちゃんのお味噌汁(薄め。具は大根とワカメ)と、豆腐と野菜のスープ。デザートに干し柿を一つ。
実家と家との間の数分の徒歩がからだに重い。
帰宅してまったり。お風呂に入るのに立つと少し立ちくらみ。
今日ものすごくからだ重い。足にも力が入らず。
22時、奥さんからの「立ちくらみは血糖値下がってるらしいよ」というネット情報を自分へのエクスキューズに、バナナ一本を追加で頂く。
お風呂の中でうつらうつら。ずっと消えなかったおしりの吹き出物消えていた。体重 49.6kg。
なんか腸含めて上半身がだるい。ってことは全身だるいのか…。
この日飲んだ酵素は原液で110cc。回復食は酵素と併用が良い。
23時30分ごろ就寝。
【回復期間 2日目 2020.05.03】
朝5時起き。なんか膨満感がすごい。胃が重いぞ…。バナナ一本分食べ過ぎたか?
二度寝。朝7時30分起き。昨日のだるさがおさまっている。好転反応だったのか?胃の調子もまぁまぁ治っている。体重 49.0kg。歯を磨くとめっちゃ染みる。これも好転反応?
今日もゆったり過ごす。朝9時過ぎ、蓮根と切干大根とひじきの煮物を少量頂く。和食美味しい。デザートに酵素ジュースを飲む。
断食2日目には飽き飽きしていた酵素ジュースだが、味変できるものがあれば、途端にデザートのような存在に…。胃腸にやさしいデザート。その名は酵素ジュース。
お昼12時頃、焼き芋 1/2本とドライいちじく、デザートに酵素ジュースを頂く。
いちじくがデザートではないのか?というツッコミは却下。
お昼15時頃、糠漬けのキュウリと頂きものの甘酒を少量。
ものすごい眠気が襲ってくる。17時頃まで二時間弱、深い眠りにおちる。
起きると視界がいつも以上にクリア。
呼吸すると直接肺に空気が入ってくるような心地よい感覚。ここ最近にないくらい、つかれが取れているような実感。
おっとっと。これは失礼。あれ?え?おならが臭くない!
試しにセルフ握りっ屁をしてみる。(何やってんだ)
あ!やっぱり臭くない!なんかすごいぞ。どうなってるんだ。
体重49.3kg。これを書いている只今夕方の18時。
-*-○◇△□-*-○◇△□-*-○◇△□-*-
というわけでございまして。
回復期間もあと二日。
回復期間中、膨満感があるので、回復食少し食べ過ぎなのかも。
脳の期待(別名煩悩)を手放して、からだを労わることの難しさを改めて感じるとともに、からだを休める時間の大事さをしみじみ感じています。
【まとめ】
断食による体重の変化 : -2.5kg
(MAX値とMIN値の比較による)
期間中に摂取した食糧 :
1日目 酵素原液 360cc
2日目 酵素原液 420cc
回復1日目 酵素原液 110cc、味噌汁2杯、焼き芋1/3本、ミニトマト1つ、バナナ1.5本、野菜スープ1杯、日本酒微量
回復2日目 酵素原液 200cc、煮物少量、焼き芋1/2本、甘酒少量、ドライいちじく2個、糠漬けキュウリ2/3本
経験した好転反応 :
全身のだるさ、歯がしみる
断食で得たもの :
断食2日ぐらい大丈夫だという自信、無臭のオナラ
断食で取り戻したもの :
円満な家庭、腸内フローラ
回復期間で取り戻せそうなもの :
溢れ出んばかりの元気
その他 :
おしりの吹き出物が消えた
以上になります。
お付き合い頂きましてありがとうございました!
皆んなで作るおうちごはん
こんにちは、かっちゃんです。
去る11日、Aand*さん主催の「おうちごはんレッスン」に参加してきました。
普段、家で奥さんと分担しながら料理もするのですが、なにぶんズボラ男子なワタクシ、簡単にできるものしか作らない(作れない)ため、「ちょっぴり健康のことを気にしながら、美味しく楽しく食べてもらえるような簡単メニュー」というキャッチコピーを見たときに「これだ!!!」と思い立ち、奥さんを誘って参加させていただくことに。家で作るごはんのレパートリー増えるのが楽しみです。
Aand*さん、今年の9月にオープンして以来、初の料理教室だということで、記念すべき会に参加できて、とても光栄です。
今回教えていただいたレシピはこちら。
・「さつまいもと塩昆布の炊き込みご飯」
・「だしまき玉子」
・「食べる きのこラー油」
・「ふわふわ豆腐ナゲット」
・「里芋と豆腐のみたらし風」
ほぉ~。これは作れたらポイント高いだろうなぁ…。(妄想)
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
素敵男子になるべく、主催のあこさんの説明を熱心に聞きます。
ふむふむ、なるほど。
へぇー、この材料でこんなふうになるんやー。。
ふむふむ。
え?!
まじで?!!
皆さん!(誰?)
知ってました?(何を?)
今回、デザートに里芋とお豆腐のみたらし団子を作ったのですがワタクシ、里芋って、あんまり料理に使ったことがなかったんです。
だって、ねぇ。
なんとなく皮を剥くのがめんどうじゃないですか。1個あたり小さいし。でも1個ずつ剥く必要あるし。
しかしながら、里芋はなんと!
30分ほど茹でると、皮がツルンと剥けるようになっているのです(おぉー!!!)
そんな小技も織り交ぜながら、調理の際のいろんなコツを勉強させて頂きます。
みんなで里芋ツルン体験♪
※ 写真は撮り忘れました。(おぃ)
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
そんな中でも、一番楽しかったのがだしまき玉子づくり。
上手に巻くための秘密は手首の使い方にありました。
こういう感じで手首を使います。
※ 写真は撮り忘れました。(開き直り)
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
手際が良い女性陣の皆さま。あれよあれよと料理が出来上がっていきます。並行して、皆さん率先してかわりばんこに洗い物もこなしていきます。
「いやぁ、いいなぁ、こういう雰囲気」と思いながら、皆さまの作業をぼんやりと眺めておりました。(おまえも手伝え)
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
そういうしているうちに、じゃーん、出来上がり。
美味しそうーーーーー。(写真は主催のあこさんに撮って頂きました)
簡単に出来てめっちゃ美味しい!そして健康にも気を使っている嬉しいレシピでした。個人的には「さつまいもと塩昆布の炊き込みご飯」と「食べる きのこラー油」が大ヒットです。
レシピを惜しげもなく披露してくれるあこさんすげーなー…。
「レシピって、どうやって思いつくんですか?」といきなり不躾に聞いてみちゃいましたが、丁寧に答えてくださいました。なるほどー。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
ご飯を頂きながら談笑。皆さまと仲良くなれて嬉しい。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
時は前後して。
実はワタクシ、サプライズ企画しておりましたの。
というのも、このイベントの翌日がうちの奥さんの誕生日。
で、奥さんも一緒にこのイベントに参加。
前日夜に急に思い立ち、ダメ元で「段取りの邪魔にならない範囲で」と、失礼にあたらないように、主催のあこさんにメッセージを送ってお願いしてみたら、あっさりと快諾頂ける。ありがとう、あこさん!
そんなわけで、今日はワタクシ、エプロンを入れたエコバッグの下にひっそりと佇む
サプライズケーキを携えて奥さんと一緒にやってきたのでした。
イベント開始前。Aand*到着。事前打ち合わせもしていないのに、あこさん、エプロンを取り出した後のワタクシのバッグをさりげなく「お手荷物お預かりしましょうか?」と預かって下さる。
かくして、バックヤードの方にある冷蔵庫に収納されるサプライズケーキ。打合せ無しの連携プレー!奥さんまったく気付かず・笑
あこさん、ナイスすぎるッ…!頼もしすぎるッ…!
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
最後のデザート「里芋と豆腐のみたらし風」の後にサプライズしましょう、ということで予め話をしていたので、みんなご食べてる時に準備を、と思って下さっていたみたいで。
しかしながら、みんな優しいから、あこさんの一食分もちゃーんとあるように再配分。ワタクシ、鈍くてあこさんの意図に気づかず・汗。
談笑しながら食べ終わり、急に不自然に慌ただしくなるあこさん。そのあたりからハプニングが続き、最終的には爆笑の渦が巻き起こる奇跡の展開になりました。
サプライズが待っているとは想像もしてなかったうちの奥さん(本人談)
ハッピーバースデー!
びっくりする奥さん。(写真はご一緒頂いた奈央さんに撮って頂きました)
そしてまさか仕掛けた側のワタクシもサプライズを仕掛けられているとは気づかず。
「おめでとうございまーす!」(結婚祝いもしていただきました)
みなさん、ありがとうございます。(写真もいっぱい撮ってくださっててありがとうございます)
サプライズを振り返って、みんなで爆笑。
最後は記念写真を撮ってお開きとなりました。
突然のお願いだったにもかかわらず、快く引き受けてくださったあこさん。
ご一緒いただいてサプライズにも協力頂いたなおさん、片瀬さん。
どうもありがとうございました。
教えてもらったおうちごはん、今度家でも作ってみよう。
(あと、ブログ載せようと思ったら、写真が大事だということを改めて学びました)
防災のプロに学んだ話(前半)
こんにちは、かっちゃんです。
先日、防災士の資格をとるための講座を受けてきました。とても面白いお話ばかりで、また多くの人に知っておいてほしい内容がたくさんあったので、自分の頭への定着も兼ねて、ブログに残しておこうと思います。
【防災士って?何のためにとるの?】
地域防災のリーダーを育てることを目的とした日本防災士機構による民間資格です。個人的に、ゆくゆくはそういう役割を担うことも視野に入れながらも、まずは自分自身と、周りの大切な人たちの身を危険から守ることを目的として、資格を取得しようと思いました。
【どうやってとるの?】
座学(レポート + 講座の受講 + 試験)と、実技(消防本部または各自治体の消防署が実施している救急救命講習の履修)を終了することにより、認定されます。
座学はレポートのための自習が2週間程度、講座が2日間、講座の最後に試験、です。実技の方は、日程が合わずまだ受けておりません。
【最初にびっくりしたこと】
講座の中で紹介されていたのですが、政府の中央防災会議・防災対策実行会議が去年(平成30年)の12月に発表した 報告書には国民に向けたこのようなメッセージ(P.35参照) が盛り込まれています。該当箇所を以下に転記します。
去年夏の豪雨災害に際して、行政の出す避難情報が殆ど有効活用されなかった実態を踏まえてのものですが、的を得たメッセージだと個人的には思いました。
<国民の皆さんへ ~大事な命が失われる前に~>
- 自然災害は、決して他人事ではありません。「あなた」や「あなたの家族」の命に関わる問題です。
- 気象現象は今後更に激甚化し、いつ、どこで災害が発生してもおかしくありません。
- 行政が一人ひとりの状況に応じた避難情報を出すことは不可能です。自然の驚異が間近に迫ってきているとき、行政が一人ひとりを助けに行くことはできません。
- 行政は万能ではありません。皆さんの命を行政に委ねないでください。
- 避難するかしないか、最後は「あなた」の判断です。皆さんの命は皆さん自身で守ってください。
(中略)
- 「あなた」一人ではありません。避難の呼びかけ、一人では避難が難しい方の援助など地域の皆さんで助け合いましょう。行政も、全力で、皆さんや地域をサポートします。
「自助」「共助」「公助」の「公助」は、今やもうあてにしてはならない時代がすぐそこまで来ているということです。「皆さんの命を行政に委ねないで」と。ここまで政府がはっきりと明言していることに対して、少しびっくりしたのですが、よくよく考えれば、実態を反映した至極全うなメッセージだと思いました。
これで「自助」も「共助」もなかったら、災害時にどんなことになるでしょう。僕自身も含めて、多くの人にとって災害は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」であり、優先度でいくと後回しの事項です。
見なかったことにする。
そんなことは起きない、と決める。
そしたら何も考えなくてすむから。
そうやって先送りされている。
いざことが起こったとき。
あなたは自分を守れますか?
大切な人を守れますか?
日常防災とは「ことあるごとに思い出すこと」だと講師の方が仰っていました。そのとおりだと思います。
【地震についての学び】
① 地震の予知
例えばですが、両手より大きいぐらいの、水分を含んだ土の塊を二つに手で割ろうとした場合を想像してほしいのですが、手に力を入れていくと、端っこのほうが少しずつ割れ始めて、更に力を入れていくと、あるポイントを超えたところで真ん中からパカッと割れたりしますよね?(しますよね?)(しますよね?)(するって言ってw)
そんな感じで、周辺部(北海道東方沖や千葉県の南東沖)で、最初にひびが入るかのように小さな地震がぽつぽつと起こり始め、次第に青森・岩手沖や茨城県沖で中程度の地震が頻発するようになり、一か月の間に、その数 100 だったか、200だったか(失念!・汗)の地震が北海道沖から千葉県沖に広く分布しながら発生。そして、3月9日の前震(最大震度5弱)が起こり、3月11日の本震。
…といった感じで、本震に至る過程を立体的・かつ時系列に見ることができて、何に驚いたかというと、
「こんなにはっきりとした予兆があるんやん!」
ということです。
その立体動画は講師をしてくださった元・京都大学総長の尾池和夫さんが研究で作ってらっしゃった動画でした。(確か)
「地震は予兆を把握できる段階にあって、気象庁にそれを広報するためのマニュアルが無いだけ」なんてご発言もあったような、なかったような...(汗) 防災に興味をもって、日々の地震の分布をチェックしていれば、巨大地震の予兆はある程度把握できるのかもしれない、と講座を聞いて感じました。
で。これ、、日本だけの尺度だそうです。まじか!
世界基準は12段階で 1~12 だそうです。だから外国から観光で来られてる方に、例えば震度5の地震だと伝えるときには
an earthquake with an intensity of five
の後に
on the Japanese scale of one to seven
と付け足すと、とても正確な訳になるようです。
これに対して「マグニチュード」は、断層破壊の大きさを表す尺度で、世界的な基準のようです。
あれ、テレビやラジオの発表を待つまでもなく、揺れている最中におおよその震度とマグニチュードは分かるそうです。
震度6弱以上になると、人間は自分の足で立つことが不可能になります。
自力で立っていられない地震が来た → 震度6弱以上です!
で。マグニチュードは、揺れが続く時間によって大体わかります。
阪神大震災(M7.3)の時の断層破壊の面積は横浜市の面積程度で、揺れは10秒から15秒程度です。
東日本大震災(M9.0)の時の断層破壊の面積は北海道全体の面積程度で揺れは2分半ほど継続しました。
目安として、ですが、地震が1秒続くと2kmの岩盤の割れ。10秒続くと20kmの岩盤の割れ、100秒続くと200kmの岩盤の割れ、だそうです。
そして、100秒も続くような地震が来て、それが海の近くであるならば、津波が来ること前提ですぐに避難をしなければならないということです。
まとめると、自分の足で立っていられるか、揺れがどれぐらい続いたか。この2つの尺度で、おおよそ何が起こっているのかは、情報の発表を待たずしても把握することができる、ということです。
④ 揺れを感じたか、感じなかったか
A「昨日の夜9時ごろ、地震あったよね?家、だいぶ揺れたわー。」
B「え?そうなん?おれも家におったけど全然わからんかったわ。」
こんな会話があったとします。
これって、Bさんが鈍感なだけ?
いやいや。。その可能性も否定はできませんが、これはAさんの住んでいる家の方が揺れやすいという可能性が高いと見なければなりません。
気の悪い話だとかそういうのは置いといて、事実をまずは把握することが防災の観点からはものすごく大切になります。
その地域の地盤がもろいのか、家自体の問題なのか、はありますが、Aさんが防災意識の高い人であれば「うち、ひょっとしてやばい?」という感覚を持つのが正解ということになります。
⑤ 地盤マップ
講座の中でお役立ちツールとして紹介されていたものですが、今自分が住んでいる土地の地盤に関する情報を、事前登録なしに誰でも確認することができます。
ちなみに僕の住んでいる場所は「揺れやすく」「液状化の可能性が高い」地域でした・泣
防災意識がちょっと上がりました。。
(後半へ続く)
※※※
僕自身が防災に興味をもったきっかけは、防災をテーマとして地域が共生できる社会を作ろうという活動をされている人たちに触発されてのことでした。
防災のためにかばんの中に水中メガネを入れて持ち歩いている僕の師匠...。
何のために水中メガネ?
万が一の火災の時に煙が目に入らないようにするためです!
「自分が助かる」=「人を助けることができる」ですが、「自分が助からない」=「人を巻き込むかもしれない」ということですね。そんな師匠のオンラインサロン「EART LIFE LABO」は、毎月1日から5日までの受付。防災以外にも豊かな人生を送るために大事なことをたくさん教えて頂いています。ピンと来た方は是非!
いのちというのは…
こんにちは、かっちゃんです。
唐突ですが。
私たちのいのちというのは、
いわば乗り物のようなものなんだと思うのです。
うん。
たぶん。
そうなんです。
この世に生を享けたときに、神様からお借りした乗り物。
例えるならば、レンタカーみたいなものと同じで。
車種も様々ですし、色も違うかもしれません。
見た目や性能に大きな違いがあるかもしれません。
扱いやすいかもしれませんし、扱いにくいかもしれません。
長く乗っても傷まない頑丈な造りかもしれませんし、そうでないかもしれません。
メンテナンスを怠ると、すぐに錆が出るかもしれません。
見た目のわりに燃費が良いかもしれません。
普通はついているはずのミラーがついていなかったりするかもしれません。
エンジンがかかりにくかったり。
外装が剥げてしまっていることがあるかもしれません。
手違いで燃料も満タン入ってない場合もあるかもしれません。
与えられた条件は同じではありません。
神様は不平等に一見すると見えます。
どう考えても、隣の芝が青く見えるようなケースもあるかもしれません。
でもきっと、それは
今回の乗り物においては
大きな大きな視点で見ると
ちょっとしたことなんです。
問題なのはそこじゃなくて。
与えられたこの乗り物に乗って
何を想い、どんな走り方をするのか。
そこを神様は見ているんだと。
そう思います。
その乗り物やったら、そりゃあ、まぁ、それぐらいのパフォーマンスは出るよな、とか。
その乗り物やのに、よう頑張って、そこまで頑張ったよなぁ、とか。
与えられたいのちのスペックと、
為したことの難易度。
その乖離。
そこをきっと、神様は見ているんだと思います。
フィジカルな部分を鍛えることは、その乗り物の外装をピカピカに磨き上げることに近いのかもしれません。
メンタルな部分を鍛えることは、モーターやギアや見えない部分の性能を、丁寧にメンテナンスすることに似ているのかもしれません。
そして、見えない部分を大事にしていると…。
時間差はあるけど、
それが目に見える部分にも
顕れてくるのだと思います。
逆に見えない部分を疎かにすると、
これも時間差があって、
目に見える部分に顕れてくる…。
そもそもが神様からの借り物なんだとするならば、
あだや疎かに扱うものではなく。
きっと、大切に大切に慈しみながら
取り扱うものだと思います。
そして燃料を使い切って走り切って。
到着した地点が神様の設定したゴールで。
そこで、その乗り物は回収。
神様にお返しすることになるのだと、
そう思います。
昨日、知り合ってまだ日の浅い友人であるAさんの訃報を聞きました。
今週お会いした時には、全く普通に会話もできて、そんな兆候も全く見られませんでした。
お借りしていたものを天に還される時が、Aさんにやって来たのだなぁ。
そんなことを思いながら、上記のようなことを漠然と考えていました。
Aさん、あなたとは最近の付き合いでしたね。
これから縁がふかくなっていくのかなという矢先、そちら側に旅立たれましたね。
《Aさんの本名》の旅はどんな旅でしたか?
若い頃、ぼくと同じようにSEをされていたとお聞きして、心ひそかに親近感を感じていました。
充分にこの世を満喫できましたでしょうか?
Aさんの持って生まれたものを使って走り切ることはできたでしょうか?
しばしの別れですが、やっぱし別れというのは寂しいものですね。
一緒に過ごした時間を思い返して、どんな平凡な一日も貴重であるということ、そして生きていることの不思議さに改めて思いを馳せ、自分が今もこうしてまだ生きているということに畏れの気持ちを抱けずにはいられません。
こちら側に遺ったものとして、あなたの意志を、遺された人とともにシェアしながら受け継いでいきます。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
おれ、今日いったい
何人の人と喋ったんだろう。
頭の中で数えてみる。
20人弱かな…。
おれ、あと何日生きるんだろう。
たとえば50年としたら、えーっと。
365 * 50 + 閏年 で 18,300 日弱か。
すると、おれ人生であと、
袖振り合う人って
単純計算で 18,300 * 20 で、
述べ37万人弱なのか…。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
砂時計の砂は不思議なぐらい音もなく、しかし確実に落ちていきます。
今まで出会った人の中で、すでに亡くなった人や、今生もう出会うこともないであろう人の顔を思い浮かべてみました。
僕は、頂いたこの自分のいのちを、何に使うことができるだろう。
どうやって、このいのちの意味を輝かせることができるだろう。
Aさん。
生きるっていったいどういうことなんでしょう。
死ぬってどういうことなんでしょう。
そちら側に行かれて何か分かったことがあれば、またそっと教えて下さい。
心よりご冥福をお祈りします。
辛くて美味いものを食べた話
ご無沙汰しております。こんにちは、かっちゃんです。
最近スパイスカレーがマイブームです。
会社から5分ほど歩いたところにあるスパイス食堂NIKKIさん。
二か月ほど前に初めて訪問して以来、マイランチのヘビーローテーション。
お昼時は混むので、あまり広まってほしくないんだけど、是非一度・・・
って、おれは誰目線で書いているんだろう(ただのお客です)
で、どハマりして、自分で作ってみたい!と思っていたところに北加賀屋のみんなのうえんさんが「スパイスカレーを作ろう」という素敵過ぎるイベントを開催してくださったので、喜び勇んで参加してきました。
イベントでは、オールスパイスからがっつりと作るカレーと、基本のスパイス(クミン、コリアンダー、レッドチリ、ターメリック)で作るカレーの2種類を、スパイスカレー好きの皆さんと作って頂きました。(大満足♪)
で、お土産として手書きの素敵なレシピと1回分のスパイスを頂いたので、それを使っての「初・自作のスパイスカレー記念」ということでブログを書いてみました。(自己満足♪)
この味が
いいねと自分で言ったから
(自画自賛)
11月24日は
スパイスカレー記念日
(字余り)
さて、調理開始です。
うちでも2種類作ってみました。
まずはオールスパイスのカレーです。
最初にカルダモン、コリアンダー、ベイリーフ、などなど、粉状ではないスパイスをオリーブオイルで炒めます。
香りが油に移ってきて、カルダモンの粒から泡が出始めたらくし切りにしておいた玉ねぎを投入!
まぜまぜ。
まぜまぜまぜまぜ。
…。
あめ色になるまで、じっくりと炒めたら、サイコロ状に切ったトマトを投入し、少し火を強くします。
まぜまぜ。
まぜまぜまぜまぜ。
…。(写真撮るの忘れた・汗)
文字オンリーでお楽しみください。
まぜまぜまぜまぜまぜまぜまぜまぜ。
…。
あ!
ここから写真撮ってた!
ジャン!こんな感じ!
で。ここにヨーグルトを投入し、またよく混ぜて褐色になったら、パウダー状のスパイスをもろもろ投入です。
ほーら。スパイスカレーっぽっくなってきた!
まぜまぜ。
まぜまぜまぜまぜ。
よーく混ざってくると、こんな感じになります。
ジャン!
ほら!美味しそう!
そうそうそう。こうやってよく両面を焼いてねー。
肉の旨味が滴りおちて…って、画像がぜんぜん違う!
…。
失礼しました。
もとい。
ジャン!
はい、これでほぼ完成です。
表面に乗せたカレーリーフが香りに深みを与えてくれます。
そして、もう一種類のカレーの方も同時進行で作ります。
みじん切りにした玉ねぎをあめ色になるまでよく炒め。
そこにスパイスを投入!
水気を飛ばしてペースト状にしたら、分量外の水と好きな具材を加えて煮込んでいきます。
ぐつぐつ。
ぐつぐつぐつぐつ。
…。
ジャン!
使う鍋のサイズ間違えた(/ω\)
まぁ、とにもかくにも。
これで完成です。
さて、試食です。
いただきまーす♪
…。
もぐもぐ。
もぐもぐもぐもぐ。
…。(盛り付けたところの写真撮り忘れた・汗)
再び文字オンリーでお楽しみください。(何を?)
もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ。
うん!
うまい!!!(普通に)
はい。
ご馳走様でした。(え?)
今日の僕の教訓は。
カレーの作り方とか、そういうことではどうやらなくて。
大事なところで写真撮り忘れないようにしよう
ということでした! (*_ _)
そんなわけで華麗に退散ー♪(カレーだけに)
あ!
今回お世話になったみんなのうえんさんですが。
今回みたいな素敵なイベントを定期的に開催されてます。
大阪市内でありながら、畑を一部間借りて自分で野菜を栽培する、みたいなことも可能みたいですので、お好きな方はぜひチェックしてみてくださいねー。
それではまた!(華麗に退散ー♪)(カレーだけに)
懐かしいものを見た話②
こんにちは、かっちゃんです。
この前の記事の続きになります。
普段、満員電車に揺られて通勤しています。
無表情でタスクに没頭する人たちをのせて
満員電車は今日もはしります。
がたんごとん。
隣の人に腕がぶつかる。
「あ、すみません…。」
あ。一生懸命、携帯でゲームしてはるわ…。
がたんごとん。
朝のラッシュ時。
ビジネス街の主要駅に停車してドアが開く。
我先にと扉の前にスーツ姿の人達が殺到…。
「痛い、痛い、痛い」と叫んでる人がいる。
後ろからの圧力に押されて転びそうになる。
・・・。
・・・・・・。
ふと。なんとなく浮かんできた言葉。
「群衆心理」
脈絡もなしに、そういえば昔、
明石市の花火大会の歩道橋でパニックが起きて、人が将棋倒しになって倒れて…
みたいな事故があったよな…、と
ふいに思い出した。
「パニック」
パニックが発生するには4つの条件が必要らしいです。(「防災士教本」(日本防災士機構)より抜粋)
- 差し迫った危険が存在するという認識が人々の間にあるとき。
(単に思い込むだけでも。) - 脱出の可能性があるとき。
(意外に思われるかもしれないが、脱出の可能性が全く ないときにはパニックは起きない。誰も脱出できないのならば、先を争ってみても仕方がないからである。) - 脱出路(口)に制約があり、全員は避難できそうにないとき。
- 正常なコミュニケーションが欠けているとき。
僕の尊敬するJUN天人さんが以前にこんな趣旨のことを言っていました。(微妙に言葉のチョイスとかは違ってるかも…すみません。)
例えば、この職業は安定してる・この会社は待遇が良いとなると、われ先にとそこに人が集中するでしょ?そしたら今度はピラミッド型の組織で上にいけばいく程、お給料はあがる。それを知ってるからみんなそれを目指そうとするけど、上のほうに行けば行くほど、ご存じのとおり、椅子取りゲームの椅子は少なくなっていくわけです。
つまり、少ないパイをみんなで奪い合おうとするんです。小学生のサッカーみたいに、サッカーボールのあるところにみんなが群がるんです。だから競争が起こるんです。
なるほど、なるほど。
これって、群集心理とよく似てるよなぁ。。
なんとなくですが。
パニックって、いたるところで社会レベルでも起きてるんだと思います。
正常なコミュニケーションを欠いた状態で、
主要メディアが流すニュースにみんなが不安を煽られて。
建前はさておき、本音のところで「自分だけは…」と、お金や快適な生活に群がるから、パニックが起こってるじゃないのか、と。
・・・なんとなくですが。
群集心理とはそもそもどういうものなんだろう。(またまた、「防災士教本」(日本防災士機構)より抜粋)
- 不特定多数の中の1人であるから責任感が低下する。
- 他の人々から影響を受け暗示にかかりやすく、同じような感情や判断を持ちやすい
- 理性的でなく、感情的・本能的になりやすい。
群がる人が増えると、クローズドな人間関係にしても、地域にしても、国にしても、世界にしても、どこかに歪みが生じるんだと思います。
・・・なんとなくですが。
歩道橋の事故で人の波にのまれてしまった方々に、競争社会に生きづらさを感じている人々を重ね合わせながら、ラッシュ時の駅をあとにして、いつもどおり仕事に向かい、朝礼で「効率化」のための工夫を話す若手社員の発表を聞いて。
日常にまた戻っていく。ああ、、おれ、群がってるのかなぁ…。
もやもや・・・。
もやもやもや・・・。
そんなとき。
JUNさんが言っていた言葉の続きを思い出した。
そうじゃなくて、コミュニティの中で、何が足りていないのかを観察して…。
自分が何であれば、そのコミュニティの中で自分が主人公として、人のお役に立てるのか。そういうことを考えるということなんです。
ああ。そういうことか。
「群がる」ということ。そして、前回の記事でふれた「繋がる」ということ。
「同じ場所・同じ世界にたくさんの人がいる」という意味では、なんとなく似ている気もする。
でも。
人が「群がる」ことと、人と「繋がる」ことの根本的な違いは
「動機」だと思うのです。
「何のために」「誰のために」が違う。
根本的に違う。
「群がる」のは、自分のため。
だから、ラッシュ時のドアに群がる。
待遇の良い仕事や、ワンランク上の生活、みたいなものにが群がる。
群がっている群衆心理にはたらいているのは、個人の損得の感情。
もしくは、自分優先の安心・安定を求める利己心。たぶん。
「たぶん」というのは、自分がそうだったから(今もそうかも)そう思うだけ。
是非をジャッジするつもりはないけれども。
分断されたまま、コミュニケーションが欠けているから、得に対して群がらざるを得ない、というのは、それはそれで辛いことなのです。
自分も周りも辛い。
これに対して「繋がる」は、人のために生きる。利他の生き方。
少し拡大解釈をすると、人のために生きる。
大地のために生きる。
世界のために生きる。
利他、利地、利世。尊徳の生き方。
ここ最近多発している自然災害は、人間に自然が教えてくれているのでは…?
人間同士が繋がってないよー、ということを。
人間が自然と繋がってないよー、ということを。
被災された方にお悔やみをの念をとばしつつも、大事なことは。
経験は忘れて風化させるのではなく、次に活かすということ。
そうしないと、いつまでも同じ轍の繰り返し。
やっぱり群がるんじゃなく、繋がって生きていたいなぁ。繋がっていれば、エネルギーは自然に循環するんだと思います。
自然に循環していれば、パニックは起こらない。きっとそこには正常なコミュニケーションがあるから。
そんなわけで。
またまた「カンタ!ティモール」。
先日購入したサントラが届いた。
広田奈津子監督、ありがとうございます。
同封されていたアレックスのメッセージが素敵すぎる…。
いのちがよろこぶ仕事には
亡くなった人たちも
生まれてくる人たちも付いてくる。
「いのちがよろこぶ仕事」かぁ。。
あせらず、あわてず、あきらめず。
このことは、じっくり考えたいな、と思った。
そしてさっそく、サントラを聞いてみた。
味わって、聞いてみた。
・・・。
うん!
これは…!!
幸せだー!!!
※※※
文中に出てくるJUN天人さんのオンラインサロン「EART LIFE LABO」は、毎月1日から5日までの受付ですが、今月はリクエストに応えて15日まで新規受付中です!
繋がって生きるための極意を一緒に学んでみませんか?
懐かしいものを見た話
はじめまして。かっちゃんです。
突然ですが。
「懐かしい」という言葉から、あなたの中に浮かぶ情景にはどんなものがありますか?
先日、守田矩子さん主催の「カンタ!ティモール」という映画の上映会に参加させて頂きました。
2002年に独立した東ティモールのお話です。
東ティモールというのは、近海に大規模な油田があり、侵略者たちの手によって、悲劇的な運命を歩んできた歴史を持っている国です。
1975年にポルトガルから独立するやいなや、独立を認めないとする隣国インドネシアが武力で併合。
抵抗する多くの人々に対して、非人道的な激しい弾圧が加えられました。
その痛み。
想像できるでしょうか?
今までの平和な暮らしが、忽然と消えてしまう理不尽さを…
武力による弾圧に、ただ耐える環境に身を置かれることの恐怖を…
自分の親友が目の前で見せしめのように銃で体を打ち抜かれる痛みを…
自分の息子が目の前で連れ去られて、数十年間行方が分からないという痛みを…
自分の娘が女性としての尊厳を奪われるのを目の当たりにするという痛みを…
そんな痛みがいつ終わるとも知れず日常的に繰り返される絶望を…
人間というのは不思議なもので、
自分に直接関係のあることにしか、興味がわきにくいようにできています。
これは「生物としては」全く理にかなった反応だと思います。
自分の身を守ることが目的の、いわゆる爬虫類脳というやつです。
脳幹の構造上、我々はまず反射的に自分のことに興味がいくようになっているのです。
しかしながら、人間の脳の構造は、その外に哺乳類脳があり、人間脳があります。
それはすなわち。
言い換えるならば、我々は人の痛みを、あたかも自分の痛みのように
想像できる力を持っているということです。
あなたも。私も。
東ティモールの人たちって、本当にすごいんです。
すごかったんです。
目に見えない力によって、人と人、そして人と大地がつながっていること。
科学や功利主義では説明のつかないこと。
そういうものを信じているという文化的な背景なのかもしれません。
非人道的な行いを重ねるインドネシア兵を捕まえて捕虜にしました。
さて、普通ならどうなるか…。なんとなく想像がつきますよね…。
しかしながら、東ティモールの人たちは決して自分の恨み辛みを晴らすための報復や、人質を盾にとった交渉といった類のことは行いません。
皆、争うことの無意味さを懇々と説いて、武器を取り上げて、無傷で解放するのです。
- 身を切り裂かれるように悲しい。だけれども怒りはない。
すごくないですか?
そんな日々が24年間も続きました。
1980年生まれの僕が、のんきに鼻を垂らしながら少年ジャンプを読んでいた頃、東ティモールの人たちは、ずっと息を潜めながら、暗黒の日々をやり過ごしていたわけです。
そしてその間、多くの国がインドネシアのやり方を非難する中、日本は政治的な思惑から、インドネシアのその軍事費を援助し続けていたということです。
無知であるということは恐ろしいことだなと思いました。
2002年に事実上の独立を勝ち取った東ティモールの人たち。
映画の中には、独立後の牧歌的な集落の様子が、とりわけ無垢な子供達が、はしゃぎ回っている画が何度も出てきます。
いま僕たちが日本で謳歌している平和も含めて、平和というものは先人たちの流した血と代償のうえに成り立っている…。僕らはその有難さをついつい忘れがちですが、大切に受け継いで、次の世代にバトンタッチするべきもののはず…。
映画の中に出てきた、これからの未来を生きる子供達は、東ティモール激動の時代を生き抜いてきたそんな先人たちにとっての希望そのもののように僕の目には映りました。
東ティモールでは、子供達はおじさん・おばさんのことも、お父さん・お母さんと呼びます。
おじさん・おばさんにとっても、甥や姪は、自分の子供同様なんですね。
子育てはみんなでする。誰かの子供はみんなの子供。子供はみんなの宝。
そして、そんな子供達をつなぐ役割として、アレックスという青年の歌が出てきます。
この歌が素敵すぎて。。もうね。泣けてくるんです…。
そして、アレックスと子供達が一緒に歌っている姿が、とても、とても懐かしいのです。
人は、どれだけの傷を、痛みを抱えていても。
いや、それだけの傷を、痛みを抱えているからなのかもしれない。
人のために、人とつながって、また前に進むことができる。
「カンタ!ティモール」には、うまく説明できないのですが、そんな人間の美しさが表現されていて、多くの人に観てほしい映画だと思います。
人間の美しい光の部分。そして対照的な闇の部分。
コントラストのように表現されているのですが、その違いは何だろうと考えたとき
「繋がっているか」「繋がっていないか」だと思うのです。
東ティモールの人たちは、人と人が繋がっている。そして人と大地が繋がっている。
そして映画の中に出てきますが、人と精霊(目に見えないもの)が繋がっている。
対して、インドネシア兵は、人や社会と分断され、上官から駒のように扱われ、覚醒剤を注射された状態で、東ティモールの人たちを迫害するわけです。
加害者を擁護する気持ちは全く無いのですが、そうやって人との繋がりや、信じるものから分断され、本当の本当の本当の自分はきっとやりたくないであろう迫害行為を余儀なくされているインドネシア兵も、あるいは被害者なのかもしれません。
それを直感的に知っているから、東ティモールの人たちはインドネシア兵を捕虜にしても、報復という選択肢を選ばなかったのかもしれません。
人の欲。人と競争して勝ちたいという欲。自分が、自分が、自分だけが…。
欲の持つエネルギーをすべて否定したいわけではありませんが、「他人と自分を分断する欲」は、結局、自分の人生を貧しくするのだと思います。
僕は普段、会社勤めをしていて。
職場に行けば、売上目標だとか利益率だとかいうことばに囲まれながら仕事をして。
同業他社としのぎを削るかのような競争をして。
休憩するときには、自動販売機でお茶を買って。
遠く離れた東ティモールのことなんて、この映画に出会うまで考えたこともなくて。
なんだか、繋がれていないなぁ、と思うことが最近多くて。
だから、アレックスと子供達が一緒に歌っている姿を見て、とても、とても懐かしく感じました。
人が「良く」生きるということはどういうことなのか?
「カンタ!ティモール」にはそのヒントが描かれています。
人を信じる、大地を信じる、目に見えないものを信じる。
そして、人と、大地とつながって、共生する生き方をクリエイトすること。
アレックスの歌はその象徴…。だから感情が揺さぶられる。なんだか懐かしい。
人が本来いるべき場所。人の魂が本来あるべき状態。
そんな原点に「ただいま!」って言いながら帰ってきたような懐かしさを覚えた映画。
めちゃめちゃお勧めします!