懐かしいものを見た話②
こんにちは、かっちゃんです。
この前の記事の続きになります。
普段、満員電車に揺られて通勤しています。
無表情でタスクに没頭する人たちをのせて
満員電車は今日もはしります。
がたんごとん。
隣の人に腕がぶつかる。
「あ、すみません…。」
あ。一生懸命、携帯でゲームしてはるわ…。
がたんごとん。
朝のラッシュ時。
ビジネス街の主要駅に停車してドアが開く。
我先にと扉の前にスーツ姿の人達が殺到…。
「痛い、痛い、痛い」と叫んでる人がいる。
後ろからの圧力に押されて転びそうになる。
・・・。
・・・・・・。
ふと。なんとなく浮かんできた言葉。
「群衆心理」
脈絡もなしに、そういえば昔、
明石市の花火大会の歩道橋でパニックが起きて、人が将棋倒しになって倒れて…
みたいな事故があったよな…、と
ふいに思い出した。
「パニック」
パニックが発生するには4つの条件が必要らしいです。(「防災士教本」(日本防災士機構)より抜粋)
- 差し迫った危険が存在するという認識が人々の間にあるとき。
(単に思い込むだけでも。) - 脱出の可能性があるとき。
(意外に思われるかもしれないが、脱出の可能性が全く ないときにはパニックは起きない。誰も脱出できないのならば、先を争ってみても仕方がないからである。) - 脱出路(口)に制約があり、全員は避難できそうにないとき。
- 正常なコミュニケーションが欠けているとき。
僕の尊敬するJUN天人さんが以前にこんな趣旨のことを言っていました。(微妙に言葉のチョイスとかは違ってるかも…すみません。)
例えば、この職業は安定してる・この会社は待遇が良いとなると、われ先にとそこに人が集中するでしょ?そしたら今度はピラミッド型の組織で上にいけばいく程、お給料はあがる。それを知ってるからみんなそれを目指そうとするけど、上のほうに行けば行くほど、ご存じのとおり、椅子取りゲームの椅子は少なくなっていくわけです。
つまり、少ないパイをみんなで奪い合おうとするんです。小学生のサッカーみたいに、サッカーボールのあるところにみんなが群がるんです。だから競争が起こるんです。
なるほど、なるほど。
これって、群集心理とよく似てるよなぁ。。
なんとなくですが。
パニックって、いたるところで社会レベルでも起きてるんだと思います。
正常なコミュニケーションを欠いた状態で、
主要メディアが流すニュースにみんなが不安を煽られて。
建前はさておき、本音のところで「自分だけは…」と、お金や快適な生活に群がるから、パニックが起こってるじゃないのか、と。
・・・なんとなくですが。
群集心理とはそもそもどういうものなんだろう。(またまた、「防災士教本」(日本防災士機構)より抜粋)
- 不特定多数の中の1人であるから責任感が低下する。
- 他の人々から影響を受け暗示にかかりやすく、同じような感情や判断を持ちやすい
- 理性的でなく、感情的・本能的になりやすい。
群がる人が増えると、クローズドな人間関係にしても、地域にしても、国にしても、世界にしても、どこかに歪みが生じるんだと思います。
・・・なんとなくですが。
歩道橋の事故で人の波にのまれてしまった方々に、競争社会に生きづらさを感じている人々を重ね合わせながら、ラッシュ時の駅をあとにして、いつもどおり仕事に向かい、朝礼で「効率化」のための工夫を話す若手社員の発表を聞いて。
日常にまた戻っていく。ああ、、おれ、群がってるのかなぁ…。
もやもや・・・。
もやもやもや・・・。
そんなとき。
JUNさんが言っていた言葉の続きを思い出した。
そうじゃなくて、コミュニティの中で、何が足りていないのかを観察して…。
自分が何であれば、そのコミュニティの中で自分が主人公として、人のお役に立てるのか。そういうことを考えるということなんです。
ああ。そういうことか。
「群がる」ということ。そして、前回の記事でふれた「繋がる」ということ。
「同じ場所・同じ世界にたくさんの人がいる」という意味では、なんとなく似ている気もする。
でも。
人が「群がる」ことと、人と「繋がる」ことの根本的な違いは
「動機」だと思うのです。
「何のために」「誰のために」が違う。
根本的に違う。
「群がる」のは、自分のため。
だから、ラッシュ時のドアに群がる。
待遇の良い仕事や、ワンランク上の生活、みたいなものにが群がる。
群がっている群衆心理にはたらいているのは、個人の損得の感情。
もしくは、自分優先の安心・安定を求める利己心。たぶん。
「たぶん」というのは、自分がそうだったから(今もそうかも)そう思うだけ。
是非をジャッジするつもりはないけれども。
分断されたまま、コミュニケーションが欠けているから、得に対して群がらざるを得ない、というのは、それはそれで辛いことなのです。
自分も周りも辛い。
これに対して「繋がる」は、人のために生きる。利他の生き方。
少し拡大解釈をすると、人のために生きる。
大地のために生きる。
世界のために生きる。
利他、利地、利世。尊徳の生き方。
ここ最近多発している自然災害は、人間に自然が教えてくれているのでは…?
人間同士が繋がってないよー、ということを。
人間が自然と繋がってないよー、ということを。
被災された方にお悔やみをの念をとばしつつも、大事なことは。
経験は忘れて風化させるのではなく、次に活かすということ。
そうしないと、いつまでも同じ轍の繰り返し。
やっぱり群がるんじゃなく、繋がって生きていたいなぁ。繋がっていれば、エネルギーは自然に循環するんだと思います。
自然に循環していれば、パニックは起こらない。きっとそこには正常なコミュニケーションがあるから。
そんなわけで。
またまた「カンタ!ティモール」。
先日購入したサントラが届いた。
広田奈津子監督、ありがとうございます。
同封されていたアレックスのメッセージが素敵すぎる…。
いのちがよろこぶ仕事には
亡くなった人たちも
生まれてくる人たちも付いてくる。
「いのちがよろこぶ仕事」かぁ。。
あせらず、あわてず、あきらめず。
このことは、じっくり考えたいな、と思った。
そしてさっそく、サントラを聞いてみた。
味わって、聞いてみた。
・・・。
うん!
これは…!!
幸せだー!!!
※※※
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